橙に包まれた浅い青

受賞・入選など14篇。 写真詩・イラスト詩・ポエム動画など2333篇以上を公開。

タグ:小説


その車両には誰も乗っていなかった。
ドアが開いて乗ってみると、燕尾服を着た一人の老紳士が立っていた。「ようこそ」と、しっかりと距離感を保った声でお辞儀され、こちらも軽く会釈した。車内はよくあるメトロの構造。ただ、中吊りを始めとする広告はなく、乗り降りの際の安全を訴える車内アナウンスも聞こえない。製造されたばかりの車両であるかのように、きれいなつり革と座席と車窓が車内灯に照らされてよく目立つ。

メトロが動きだしてから、ゆっくりと左右の車両を見渡してみた。この車両と同じように誰も乗っていない。さっきの駅で乗ったのは私だけのようだ。老紳士に色々と尋ねようか悩んでいるうちに、メトロは次の駅のホームへと滑り込んでいく。駅名看板に、「しょう」というひらがなが書かれている駅に。

---------------------------------------------------------

駅名に疑問を抱きながら降り立ったホームは、とてつもない広さだった。アフリカの広大な大地のようなホームに、無数の揺り篭が並んでいた。生まれて間もないであろう赤ん坊を抱く揺り篭。どこまでも、どこまでも、眼前を埋め尽くすかのように並んでいた。

驚きを隠せない私を察してか、老紳士は「これから、このような集団的光景をご覧頂きます」と告げた。「どういうことですか?」と問いかけた瞬間、眼前は無数の揺り篭から、無数のランドセルを背負う小学生の集団に変化した。広大なホームを黙々と歩んでいく色とりどりのランドセルたち。千とか万とかいう数では収まらないランドセルの群れに唖然としていると、「次の駅へ」と老紳士に肩をそっと叩かれ、再びメトロに乗り込んだ。

次の駅に着くまでに、私は老紳士に向って矢継ぎ早に疑問をぶつけていった。「このメトロやホームはどういう仕組みなのか?」「あなたは一体、何者なのか?」・・・尽きぬ質問を柔和な笑顔でかわし、無言を貫き通す老紳士。こちらから何を聞いても答えてくれそうにない。「そろそろです」という声とともに、メトロは「ろう」と書かれた次の駅へ滑り込んでいく。


---------------------------------------------------------


ホームには無数の群衆。赤ん坊や子どもではなく、大人だ。恍惚な笑みをたたえながら行き交っていたのは、無数の新郎新婦たちだった。その幸せそうな雰囲気につられ、思わずこちらも笑みが零れる。

しかし、すぐに新郎新婦たちの姿は消え、ホームは目まぐるしく場面展開していく。夫婦と子どもたちの一家団欒、独身の男女などが仕事や趣味に打ち込む様子・・・次々と現れては消える場面。走馬灯のように、引っ越し、一人暮らし、シェアハウス、就職、転職、退職、Uターン、Iターン、Jターン、結婚、離婚、再婚、出産、子育て、子の自立、疾病、介護、事件、事故、災害など、様々なライフサイクルの転機を象徴する場面が続く。ただ流れていく場面を見ているだけだったが、じっとりとした疲労感が募った。映画館を出た直後のように、両腕を思いっきり頭上に伸ばして身体を解していると、老紳士に「参りましょうか」と言われ、メトロに乗った。

---------------------------------------------------------

次の駅はすぐだった。「びょう」という看板が立つその駅のホームには無数の病院。1つ1つの病院から、飛び出す絵本のように、眼科、耳鼻科、皮膚科、泌尿器科、内科、外科など様々な診療科が克明に見える。赤ん坊の泣き声、子どもの笑い声、緊張した面持ちの患者、祈るような瞳で手術を待つ患者の家族、患者の応対に追われる看護師、冷静に手術を執刀する医師の様子など、様々な場面が流れていく。目を背けたくなるような場面も多々あったが、なぜか、流れていく場面の1つ1つから目を離すことはできなかった。大きなタメ息と深呼吸を1つしたところで、老紳士に「次の駅が最後です」と促され、重い足を引きずりながらメトロに乗った。

---------------------------------------------------------

最後は「し」という駅だった。広大なホームには、葬儀の座席が並んでいた。前方の遥か彼方から、数えきれない煙が、淡々と上昇していくのが見えた。「火葬場の煙?」と思った瞬間、場面は一気に切り換わり、無数のお墓が現れた。伝統的な和風の縦型、西洋風の横型など、様々なお墓が整然と地平線まで埋め尽くすかのように並んでいる。

それまで控えめに後ろについてきていた老紳士が、すぐ隣に来てゆっくりと話し始めた。

「ここまでの4つの駅を通じて、大まかな流れをご紹介しました。これらは、『人生』というもののごく一部です」。

私は静かに頷いた。

「どのように生きてゆくのか、死んでゆくのか。それは、環境の多様性、あなたの選択・自由・柔軟性・価値観の折り合いに左右されます。私の案内はここまでです。では、よい人生を」

見送る老紳士に感謝を告げ、メトロに乗った。

ゆっくりと穏やかに走るメトロ。

目指す先にある駅を、私はもう知っている。

そう、「たんじょう」と名づけられた駅だ。

車内の電光掲示板には、「あと、十月十日」と出ている。

しばしの仮眠をとるには十分すぎる時間だ。

私の瞼が静かに閉じていった。

イメージ 1




『 ベーシックインカム・パーティ 』



価格 0円









2013年2月に公開した
朗読動画「 ベーシックインカム・パーティ 」のテキスト。

短編にもシナリオにもなっていない出来です(という予防線)




< あらすじ >

就職活動で1社からも内定を得ることができずに大学を卒業した上澤は、
ふとしたきっかけで「ベーシックインカム党」の結成、国政進出へ歩み始める!?



このページのトップヘ