橙に包まれた浅い青

受賞・入選など14篇。 写真詩・イラスト詩・ポエム動画など2333篇以上を公開。

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2011年03月28日
われわれはどこかへ向い われわれは何者かになり われわれはいつかに応える



2011年04月23日
「 原発を今後どうすべきか 」



2011年07月10日
尊 ~1人1人の考える姿勢~

2011年08月17日
「 大震災の年 」



2012年03月02日
再稼働するか廃炉にするか。



2012年11月26日
知らずに済んだフクシマ



2013年02月19日
除き、洗いました。



2013年03月11日
忘れても、忘れても、忘れられない日



2013年07月02日
たとえば、今日で世界が終わるとして・・・



2020年06月25日
帰れない帰りたい





「帰りたい。
 もう一度帰りたい」
顔を合わせるたび 口に出る台詞

帰れない
当分、帰れない
下手すれば 一生、帰れない

わかっているから
なんとなくでもわかっているから
口にせずにはいられない
「帰りたい」とくり返さずにはいられない

幼くても
周りの大人やら
テレビのニュースやら
学校での噂やらなんやらから
敏感に 嗅ぎ取っているのだろう

どれだけ除いても
どれだけ洗っても
あの頃の風景は帰ってこないと
あの頃の世界にはもう帰れないと

自然と
口癖になったのではなく
自覚的に 口癖にしたのだろう

帰れないとしても
「帰りたい」という想いを失わぬように
そう想う今を
決して、決して忘れてしまわぬように

彼女は
「帰りたい」を
口癖にしようと 決めたのだろう



                ( 第39回 羽島市文芸祭 現代詩 佳作 )



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たとえば、今日で世界が終わるとして・・・
今日で世界が終わるわけなんかないし・・・
 
 
それじゃ、会話が始まらないじゃない?
それじゃ、空想が広がらないじゃない?
 
 
会話なんてしたくないし・・・
空想なんて無駄でしかないし・・・
 
 
つれない人ね
いつかの私みたいだ 遠い過去の私みたいだ
 
つれない人ね
いつかの私みたいだ 遠い未来の私みたいだ
 
 
すれ違っていく
こんなに近くても こんなに近いからこそ
 
解れに解れていく
こんなに深くても こんなに深いからこそ
 
 
分かり合えない
分かり合おうとしても逆効果
 
 
見出せない妥協点
触れられない一致点
辿り着けない共通点
 
 
たとえば、今日で私が消えるとして・・・
 今日でキミが消えるわけなんかないし・・・
 
 
そうとは限らないじゃない?
そういう世界に私たち生きてるじゃない?
 
 
9.11を思い出しなさいよ
3.11を思い返しなさいよ
貧富とか、人徳とか
経験とか、仁徳とか
立場とか、環境とか、全く関係なかったじゃない?
 
 
会話なんてしたくないし・・・
仮定なんてあくまでも仮定でしかないし・・・
 
 
つれない人ね
いつかの私みたいだ だからこそ、心配なんだ
 
つれない人ね
いつかの私みたいだ だからこそ、心配が募るんだ
 
 
 

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忘れることはない。
毎年、この日が近づくと必ず思い出す。
 
 
忘れることはない。
忘れても、忘れても、思い出す。
忘れても、忘れても、思い出さざるを得ない。
 
 
毎年、毎年、これからもずっとそうだろう。
何をしていたのか、あの日。
どこで何をしていたのか、あの日。
 
 
一人一人が思い出す。
何をしてきたのか、あの日から。
どこで何をしてきたのか、あの日から。
 
 
一人一人が振り返る。
この日が近づいてくるたびに
忘れていたことを思い出したり
忘れてはならないと、誓いを新たにする。
それは調子のいい話でもある。
 
 
だけど
私たちはすべてを覚えておくことはできないから
調子のいい話でも
世界は一つであるかのように
世界は一体であるかのように
毎年、この日を迎えていく。
 
 
どんなに忘れないようにしても少しずつ忘れていくから。
どんなに覚えていても
都合の悪いことは忘れ、都合のいいことばかり覚えていくから。
 
 
あの日を
過度な悲観に染めきった記憶にしないためにも。
あの日を
過度な楽観に染めきった教訓にしないためにも。
 
 
忘れてはならないことを徐々に忘れていく私たちは
忘れても構わないことをずっと覚えていてしまう私たちは
この日が来るたびに思い出す。この日が来るたびに語り合う。
 
 
調子のいい話ではあるが
そうやって私たちは
忘れてはならないことと
覚えておかなくてもいいことを振り分けていく。
 
 
生きていくために。
生かしていくために。
活かし続けていくために。
忘れても、忘れても、忘れても、忘れないために。
 
  


 
もう戻れます
除きましたから、除きましたから
もう戻れます
洗いましたから、洗いましたから

白々しく
「安全」を呼びかけて
わかりやすいようで
わかりにくい数値を並べ立て
「安心」が
さも確保されたかのように
日常へと戻るように催促するばかり

コレは
国民のことを最優先した
官僚としてのご提案なのですか?

コレは
将来のことまで考えた
政治家としてのご決断なのですか?

いくら数値が
正常の範囲内でも
五感が拒否するのです
そんなに 簡単に 信じてはならないと

いくら説明が
論理的なものでも
記憶が疼き出すのです
そんなに 簡単に 決めてはならないと

もう戻れます
本当ですか?心の底から思っていますか?
だったら
永田町ごと
霞ヶ関ごと
ココに引っ越してきて
普通に生活してみてくれませんか?

 
 



 
この詩は
電子詩集「 ポエトリー ・ パレード 」に収録されています。
 
 
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両版ともに、1~7篇目までは同じ内容です。

 

 
 
 
 

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   知らずに済んだフクシマ
 
 
 
ミリシーベルト、ミリシーベルト、ミリシ・・・
一生、知るはずのなかった言葉
ベクレル、ベクレル、ベクレル、ベクレル・・・
一生、知らずに済んだはずの言葉
一大キャンペーンのように
バラ撒かれた
バラ撒かれた
津々浦々にバラ撒かれた
 
 
無知は黙認に等しく
無関心と何ら変わりないこと
痛切に実感した
福島がフクシマになってしまってようやく
 
 
数値に求められ
毒気を抜かれたリスクとコスト
一つの天秤に乗せられ
維持を前提とし
見え透いた古典原能を誇大踏襲
 
 
「今、福島原発はどうなってるの?」
夕方のニュースを見ながら
上の空で答えながら、ふと気づく
「よくわからない・・・」
いつの間にか
あんなに溢れていた関心が薄れている
あれから
まだ5ヶ月しか経っていない蝉時雨



        ( 第38回 羽島市文芸祭 現代詩 入選 )



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
再稼働するか廃炉にするか。
諸々の利害が入り組んでいるから決断できないとばかり思っていたが、違うのかもしれない。【私たち】は、私たちは、この過去を否定するのを怖れているのではないか。
 

過ちだったと結論づけることで「すべては無駄だった」とされてしまうことを怖れているのではないか。だとするならば、私たちは、【私たち】にもっと歩み寄る必要がある。
 

「すべてが誤りだったわけじゃない。ただ、あまりにもリスクが手に負えないレベルだったという話なんだ。果てしない絶望を撒き散らしたことを決して忘れないと同時に、あの日までに多大な恩恵をもたらしてくれたことへの感謝を決して忘れない」と。
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 


5ヶ月か。
「 もう 」なのか「 まだ」 なのか
って
感傷に浸りたがる人も多いけれど
( まあ、数ヶ月前までは僕もその1人だったんだけど )
節目だってことを
今月はとうとう忘れてしまっていた。
 
 

11日をすぎてから気づいたんだ。
13か14日の昼のニュースでおまけ程度にアナウンサーが
「  震災から5ヶ月経ち・・・ 」と述べているのを聞いてやっと気づいたんだ。
ああ、5ヶ月経ったのかと。
まあ、
それがどうしたんだって言われれば特に返す言葉もないんだけれど
 
 

すっかり平時気分になっていたんだなとは思ったよ。
被災地、被災者には申し訳ないけど
( この申し訳なさもかなり薄れつつある )
完全に平時と変わらない生活ぶりになっていたんだなってね。
 
 

殺人も、いつもどおりの頻繁さだよ。
極端に多いって感じでもないし、極端に減ったって感じもしない。
あくまでも報道で取り上げられる範囲内での漠然とした印象ではあるけど
もしかしたら件数が大幅に減るかなって思ってたんだ。
まだ今年も下半期の真っ只中でそれらしい統計も出ていないから断言はできないけど
例年とさほど変わらないくらいの間隔で起きている感じだね。今のところ。
震災直後は個々人が自制したのか報道が規制したのかわからないけど
まあ、その両方が作用したのかもしれないけど
明らかに殺人らしい殺人の報道に触れることは少なかった気がする。
 
 

こればっかりは
「 こんな大きな震災があったのに全く! 」なんて大上段な倫理を振りかざして
なんとかなる問題じゃないんだろうけど。
でも、思うよ。
思わずにはいられないよ。
突発的にしろ計画的にしろ
社会的、経済的、心理的、肉体的といった
様々な要因が複合して至った結果なんだろうけど
抑えてほしかったよ。
抑制できる状況や心境じゃないから「殺人」って決断に至ったんだろうけど。
 
 

なんだかんだいっても「 震災の年 」なんだよ、今年って。
これからあと4ヶ月で
この日本で
この世界で
この地球で
どんなエポックメーキングなことがあろうと
呆然としゃがみ込むしかないことが起きようと 
今年はやっぱり「 震災の年 」なんだよ。
「 大震災の年 」なんだよ。
 
 

そんな年にさ。
その個々人にとっては抜き差しならない
社会的、経済的、心理的、肉体的といった
複合的要因が作用したが故の殺人かもしれないけど
抑えてほしかったよ。
抑えられないとしても。
なんとしてでも   人が人を殺すってことを。
 
 

控えてほしいよ。
控えてほしかったよ。
なんとしてでも   人が人を殺すってことを。
 
 

謙虚になってほしいよ。
謙虚になってほしかったよ。
なんとしてでも    人に対して、他人に対して、命に対して。
 
 

抑えてほしいよ。
抑えてほしかったよ。
人を殺すことを
他人を殺すことを 
なんとしてでも。
 
謙虚になって  控えて  抑えて、抑えて、抑えて・・・ ほしかったよ。
 
 
 

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東日本大震災をきっかけに、私たちは尊い努力や犠牲の上で現在の生活を維持していることを再認識した。その最たるものは、福島原子力発電所の問題に表れている。「低コストで効率よく発電できる」「地球にやさしいエネルギー」という原発のメリットばかりを尊んできたのが今までの日本だったと思われる。今、そうした姿勢が徐々に変わろうとしている。先日、中部電力の浜岡原発の期限付き全面停止が決定した。このような流れを見ると、原発反対派だけでなく、原発推進派も含めて「これまでの原発安全神話を踏襲するわけにはいかない」という点では広く一致しているのではないかと思われる。皮肉にも、日本は今回の震災によって原発を正面から見つめて冷静に議論するチャンスを得た。やっと、原発のデメリットに耳を傾け、原発と正面から向き合う覚悟がもてたということなのかもしれない。
 
 
原発を巡る危険性はこれまでも指摘されてきた。何十年も前から原発の危険性を指摘する学者、政治家、市民団体、マスコミなどはいたのだ。しかし、今まで私たちは、原発の恩恵を盾にしてそうした声を尊んでこなかった。そのつけが、今回の震災で一気に福島に押し寄せてしまった。二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、これから中長期的に原発に関心を持つ必要性がある。
 
 
原発や放射能のニュースは連日報道されているが、門外漢にとっては専門的すぎる情報も多い。そうなると、私たちは「よくわからない」「いちいち知るのがめんどくさい」と思いがちだ。だが、そのような姿勢では、これまでの原子力行政や産業振興の継続を白紙委任するに等しい。よくわからないからこそ、もっとこの問題について知る。めんどくさいからこそ、もっとこの問題にコミットメントする。そうした1人1人の姿勢が、エネルギー政策全体の質や安全性を高めるための最低限のコストなのだと自覚していかなければならない。原発推進派と反対派に議論を委ねるのではなく、日本全体が今後のエネルギー政策のあり方を考え続ける。そうした姿勢を当たり前のこととし、尊重し続けていけるかどうかが震災後の日本に問われている。
 
 
 
 
 
 
 

と、
 
 
 
数ヶ月前に書いた使い回しを
 
 
 
苦々しい表情で
 
 
 
自惚れにまみれた両手で
 
 
 
打ち込んでいく、打ち込んでいく     食い物にしながら
  
  

共同通信(3月26、27日実施)      
増設・現状維持46.5%   廃止・減らす46.7% 

読売新聞(4月1~3日実施)       
増設・現状維持56%     廃止・減らす41%

フジテレビ(4月7日実施)         
増設・現状維持57.8%   廃止・減らす38.4%

テレビ朝日(4月9、10日実施)      
増設・現状維持52%     廃止・減らす38%

朝日新聞(4月16、17日実施)      
増設・現状維持56%     廃止・減らす41%

毎日新聞(4月16、17日実施)      
やむを得ない40%        廃止13% 減らす41%

NHK(4月15~18日実施)        
増設・現状維持49%     廃止・減らす44%
 
 
 
 
事が事なだけに
「廃止・減らす」が「増設・現状維持」を上回ると思っていた世論調査結果。
 
 

福島原発の事態収束のめどが不透明な中でも
割とバランスよく(?)賛否が分かれた。
 
 

これで「増設・現状維持」が多数を占める結果だったならば
我輩は、「 平和ボケしすぎだろ! 」
「 お上追従もいい加減にしろよ! 」と思っただろう。
 
逆に
「廃止・減らす」が多数を占める結果だったならば
我輩は、「 急進的過ぎるだろ! 」
「 現実的コストを考えてんのか! 」と思っただろう。
 
 

今後もこのくらいの割合で
「増設・現状維持」と「廃止・減らす」が推移するならば
過度な原子力政策推進へのブレーキになる。代替エネルギー推進の後押しになる。
そんな気がするのだ。
 
 
 
 
原発推進原理主義的な
「 代替エネルギーなんかでカバーできるか。
原発で賄っていくしかないんだよ。 」という指摘。
 
脱原発原理主義的な
「 すぐに全原発を廃止しろ。
ライフスタイル全般を見直し、省エネの文明を築き上げるべきだ。 」という指摘。
 
 

そのどちらも、真に受けすぎることなく
そのどちらにも、流されすぎることなく
 
 

その中間地点から
理想的かつ現実的なエネルギー政策を模索していく上で
今回の世論調査結果は、非常にポジティブなメッセージを放っているように思える。
 
 
 
 
 
 
と、
 
 
震災を目の当たりにしていない
 
 
東海地区のオール電化の2階建て一軒家にて
 
 
野良猫である我輩は、蛍光グリーンのキーボードを踊るように打ち込んだ。
 
 
いつも、三丁目の廣井さんちのピアノで寝転んでいるときの要領で。
 
 
 



【 引用・参考 】 
中日新聞 2011年4月22日(金)の朝刊28面
「原発の今後について主な世論調査結果」

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あぐねていたんだ   おわらせるタイミングを
あぐねていたんだ   おわらせるシーンを

あぐねていたんだ   安っぽいありふれた「 孤独 」で
あぐねていたんだ   のんきに、実にのんきに
 
あぐねていたんだ   そしたらやってきたんだ
あぐねていたんだ   ふいにその日が
 
 
 
 
 
 
 
 

何もかもが    流     さ     れ     た
何もかもが    な     く     な     っ     た
 
 
 
 
 
 
 

なんて
ことばで括れるほど抒情的でもないし、完結的でもない
 
 
 
 
 
 
 
 
 

む ご た ら し い  残骸
む ご た ら し い  水没
む ご た ら し い  孤立
む ご た ら し い  離散
む ご た ら し い  余震
む ご た ら し い  事故
 
 
 

なにもかもが  くっきりだった
なにもかもが  くっきりすぎた
 
 
 

後々に 見せつけるかのように 
後々まで 抉り取るかのように
 
 
 

整理できると思ったら、整理できなくなり
整理したいと思ったら、整理したくなくなる
 
 
 
 
 
 
 
 

何 人、 何  万  人 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
何 兆、 何  十  兆 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
何 年、 何  十  年 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
 
 

コストとリスク?  ああ、現実問題として
悪気はない?   ああ、そうかもしれないが
 
 
 
「  千年に一度  」  ああ、そうかもしれないが
「  一生に一度  」の前提だった  ならば、ならば、ならば
 
 
 
 
 
 
 
 

目、見開くとき 今は、今は
  何ができるか?何ができるか?
  何をすべきか?何をすべきか?
 
 
 

耳、かっぽじるとき 今は、今は
  何が必要か?何が必要か?
  何が望まれているか?何が望まれているか?
 
 
 

受け止めるとき 今は、今こそは
  何を見直すか?何を見直すか?
  何を棄却するか?何を棄却するか?
  何を開拓するか?何を開拓するか?
 
 
 

踏ん張るとき 今は、今こそは
  いつまでかかるのか?
  どうやって守っていくのか?
  どうやって築いていくのか?
 
 
 
 
 
 

続くはずだった喜怒哀楽の分も
続くはずだった春夏秋冬の分も
 
 
 

あるいていくんだ  手探りでも、未知数ばかりでも
あるいていくんだ  強がりでも、不可能に思えても
 
 
 

大丈夫と思ってもらえる日が来るまで
心の底から微笑んでくれる日が来るまで
 
 
 

あるいていくんだ  どこまでもいつまでも
あるいていくんだ  それぞれのすべてを活かし
あるいていくんだ  みんなで、みんなで
 
 
 

なにげない日常にもどれる日が来るまで
心の底からくつろげる日が来るまで
 
 
 

あるいていくんだ   続くはずだった意思に答えるような 行動で、言葉で、生き様で
あるいていくんだ   続くはずだった風景に応えるような 政治で、経済で、文化で


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